君だけが永遠

語彙力が欲しいオタクの備忘録

他界します

ただのドルオタが勝手に期待して勝手に失望して身勝手に怒ってるだけなんですけど、言葉にしたかったのでこうしてブログを書くことにしました。

全部私の主観です。個人的な考え以外のものではありません。

 

日芸能界を引退した推しがTwitterInstagramのアカウントを開設した。23歳の誕生日、公式ブログが削除される日に。

その事自体は喜ばしいことだと思っている。

けど、時期が悪い、やり方がまずい、と思った。

 

なぜ時期が悪いと思ったのか

確かに彼女は最後のブログで、いずれはTwitterInstagramをやりたいという事を綴っていた。

でも、今じゃなきゃだめだった?

引退からまだ2ヶ月も経っていない。しかも所属していたグループは5月に結成10周年記念ライブを控えている。そんなグループにとって大切な時期に、なぜ今また表舞台に姿を表したのか。

Twitterを見てみると、彼女のファンだった人たちは今も彼女の事を深く思い、愛しているように見受けられる。再びステージに戻ってくることがあるならば全力で応援するであろう熱意を持った人たち。

グループに残ったメンバーはといえば、言い方は乱暴かもしれないが10周年という大切な時期を前にして突然脱退したメンバーの穴を埋めるために歌割りや振り付けを全て覚え直さなければならない。

果たして、彼女のファンだった人たちが、彼女のいないグループを今の状況で応援しようと思うだろうか?

少なくとも私にはできない。

 

ここからはあくまでも私の推測に過ぎないが、

10周年は5人で迎えられると思っていた

というのは、10周年の区切り(あるいはそれに近い時期に)辞めるつもりだった彼女と、「10周年という節目に辞める側にスポットライトが当たるのは本意ではない」という運営側の衝突があったのではないだろうか。あくまでも個人の推測です。

 

そう考えていたので、今の時期に表舞台に姿を表した彼女に対して疑問と怒りが尽きない。

 

やり方が"どう"まずいのか

そもそもなぜ彼女は引退したのか?

インタビューでは度々

普通の女の子になりたい

という言葉が飛び出していた。

しかし彼女のTwitterのアカウントを見てみると、

  1. 名前にofficialと付いている
  2. 載せている写真がどう見てもアー写にしか見えない
  3. 普通の女の子は本名でTwitterやったりしない

どこが普通の女の子なんだろう……私には理解できません。

まず1つ目。アカウント名にofficialとついているのって大体アニメやドラマの公式アカウントだとか、企業のアカウントなんですよね。


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こちらの画像は私がTwitterの公式アプリで検索した際のスクリーンショットだ。

下の方までかなりスクロールしたが、「official」と付くアカウントで一般の方のものは見当たらなかった。(もし見落としていたらすみません)

 

2つ目。とは言え彼女は美術大学の写真学科を卒業している。親しい友人に撮影してもらった可能性も否めない。むしろそうならば彼女が大学でそういった友人と出会えたことはとても喜ばしいことだ。

だが、「普通の女の子になりたい」と言って周囲に迷惑をかけてまで引退して、まだ世間やファンからの注目度も高い時期にこうしてアカウントを公開するならばこういったいかにも芸能人ですという風な写真は避けるべきではないかと私は思う。

私は彼女のファンだったが、何よりも彼女のいたグループのファンだった。

彼女以外のメンバーの事も彼女の事と同じくらい好きだったし、だからこそ彼女が引退する事を悲しむのと同じくらい、残されるメンバーに対する彼女の無責任さに腹が立った。

 

3つ目。そのままである。

邪推でしか無いが、注目されたいからこのタイミングで、この名前でアカウントを公開したのではないかと思ってしまう。

なぜ注目されたいのか?

ソロコンサートの円盤の発売を控えているからそのプロモーション、あるいは別の事務所からソロデビューを予定しているから。あくまでも個人の推測です。

 

もしこの推測が合っているなら、仮に彼女が復帰しても応援することはできない。グループとしての活動に興味がない様子を隠さない彼女の態度を見て見ぬふりをした事もある。けれど、周囲に迷惑をかけてまで普通の女の子になったのに、そのグループが最も注目されなければならない時期に、普通の女の子を辞めなければならないのか?まだ「ソロでアーティストとしてやっていきたいから脱退します」なら今よりは穏やかな気持ちでいられたかもしれない。

引退を宣言したあの日、各メディアに現れた姿を思い出す。一人晴れやかな表情のあなたとは対照的にいつもの笑顔が見えないリーダーと高城さん、あなたがおかしな事を言う度にフォローしていた玉井さん、納得のいかない表情を隠さなかった佐々木さん。

あの日はただひたすらに悲しくて残されるメンバーのことを気にかける余裕はなかったけれど、今はどうにも貴方に対して腹が立って仕方がない。

物分かりのいいオタクでいられなくてごめん。盲目なオタクでいられなくてごめん。貴方の事を宇宙で一番かわいいアイドルだと思っていたけれど、もう限界です。

 

そのうちファンの方々と繋がるために作っていたTwitterのアカウントは消します。

これは単純にファンの方々のモラルのなさに辟易しているから。みなさん著作権って知ってます?知らないからメンバーのブログやインスタにアップされた画像を無断転載や加工して配布してるんでしょうね。

イラストを描かれている方が自分で描いたイラストを使用したグッズを配布するのはわかります。私もオタクの端くれです。二次創作もしますし、同人誌も買います。でも、本人の写真を勝手に使って勝手に缶バッジなどを作って配布するのって、どうなんですか?公式がファンアートに関してお目こぼしというか、そういうことをしているのは知っていますけども。

二次創作もかなりグレーゾーンですけど、私はどうにもこの事に関して我慢できません。

神経質なオタクが一人他界するだけです。みなさんが気になさることは何もありません。いずれその行動で身を滅ぼすようなことにならなければいいですね。

 

23歳の推しにも会いたかった

大好きだった私のかわいいかわいい(元)推し、23歳のお誕生日だね

おめでとう。

また一年健やかに過ごしてください。今はそれだけが私の願いです。

 

今日は3月15日。

4年前、2014年の私はこの日国立競技場にいた。今はもう改修の為に取り壊されている、あのスタジアム。

当時の私はちょうど転職したばかりで、チケットの当落が出たころにはなんならまだ無職だった。当時19歳の私は親に頭を下げ交通費だけ貸してもらった。チケット代は前職(派遣社員)で稼いだ貯金の最後の残りで工面した。

ももクロの現場に行くのは、ライブビューイングを除けばかなり久しぶりのことだった。最後に現地に行ったのは2012年夏のホールツアーの青森公演。実に2年近く現地には行かず、ライブビューイングに行くのみに止まっていた。

高卒で就職したばかりで仕事が忙しかったとか、他に夢中になれるものができて疎かになっていたとか、理由はたくさんあった。

それでもライブに行けば、メンバーはどんなファンも等しく歓迎し、全力で私たちを楽しませてくれた。

 

2013年のももクリの何日か前に、当時付き合っていた元彼に振られた。理由は私があまりにもドルオタすぎるから。

そんなん承知の上で付き合ったんじゃないんかい!!!!!!

ちなみに彼氏もオタクだった。アイ●スのPさんだった。

彼としては、彼女が女性にばかりキャーキャー言っているのが気に入らなかったそうだ。当時の私は大いにキレた。たぶん今ならプリパラを全シリーズ強制的に見せて解決する方向に行ったと思う。み~んなトモダチ、み~んなアイドル!おまえもアイドルになるんだよ!!!!

そんなことはどうでもいいが、心中穏やかでなさがメーター振り切れていた私。

それでもももクロのライブは楽しかったし、南ピーさんのサプライズには泣いた。

「一生ももクロ推す・・・一生モノノフでいる・・・」

 

そして迎えた2014年3月15日。

残念ながら翌16日のチケットは手に入らなかったが、それでも十分だった。

 

 やばかった。

マジで語彙力が無いことをこれほど悔やんだこともないが、やばかった。

ていうかエモい。

だって!!!!デビュー曲の衣装を着たあの子達がまさか国立競技場の聖火台に登場するなんて思わなかった。

国立競技場のアリーナから見上げたももクロちゃんたちはとてつもなくかっこよくて、かわいくて、アイドルだった。

ライブが始まり、OP映像で涙ぐみつつovertureでテンションを爆上げしたものの一曲目の『ももいろパンチ』で大号泣。

やってきました今日は あなたと私の Special Day!

こんなん泣くじゃん……

ももいろパンチ ももいろクローバー - 歌詞タイム

ももパン大好きなんですよ……

歌詞も振り付けも最大級にかわいい……ありがとう世界……

 

ステージの上のももクロちゃんはやっぱり最強のアイドルで、エンターテイナーだった。

ピンキージョーンズの歌詞

天下を取りに行くぜぃ

ここを

天下を取りに"来た"ぜぃ

お前らが天下一だ!!!!!!!!ヒューーー!!!!!!!!!最高!!!!!!!!最高オブ最高!!!!!!!!

 

と思ったことを今でも鮮明に覚えている。

あたしオタクだから 興奮すると声が大きくなるの。

 

いやだってすごくない??????かっこよすぎでは??????

弱冠ハタチかそこらの女の子達が天下を取りに来ちゃったんですよ!?????私ならすぐ天下なんて渡しちゃうわ(?)

このあたりはリーダーの二日目の挨拶に繋がるんですけどね

思い出して泣きそうなのでそのくだりは省略します

結局私は笑顔ではいられなかったので、語る資格はないと思う。

 

あのときに見た緑一色の国立競技場は一生忘れることのできない光景だし、あれ以上に美しいと思うものも、今のところはない。

 

国立競技場大会以降、本格的に仕事が忙しくなりあまりライブには行かなくなった。

いわゆる在宅というもので、Chanだけは毎週欠かさず見る、というスタイルだった。

(夢がいっぱい詰まった丼は今でも作るが、ケチフライだけは勇気が出ない)

そうしてライビュにも行ったり行かなかったりを繰り返して、そのまま年を越した。

紅白は、なんだか辛くてきちんと見られなかった。思えばこのときから、私は有安さんのいないももクロを恐れていたのかもしれない。

 

2015年も在宅気味で、思い出せる限りで参戦したのは映画「幕が上がる」の全国行脚舞台挨拶だけだ。

仕事を仮病で休み駆け込んだ映画館から、号泣しながら帰った。

内容はさることながら、「行く春来る春」があまりにも良曲すぎてそれだけで泣いていたのは我ながらどうかと思う。

 

そうしているうちに2016年になり、久しぶりに行った現場が『俺の藤井2016 in さいたまスーパーアリーナ「Tynamite!!」』

妹分の生のパフォーマンスを見るのは初めてだったが、十分楽しめた。

その後しばらく間をあけて、7月3日。

 

有安杏果ソロライブ「ココロノセンリツ ~Feel a heartbeat~ Vol.0」

 

まさかチケット取れると思わないジャン……?

だっっっって横アリですよ?

国立初日といい、何か持ってるぞ私…と思いつつ職場に「ももクロのソロコンがあるので…」と公休希望を出す。オタクに寛容な職場でよかった。

地方から遠征するオタクの朝は早い。6時過ぎには都内に着き、適当なネカフェで時間を潰さざるを得ない。

事前認証を済ませ、なぜか新宿に映画を見に行った。

あの応援上映のやつ。今からでも遅くないし1時間あれば見れるから見て欲しい。

モノノフさんはたぶんキンプリも好きだよ。たぶん。

それは今はどうでもいいんですが、ソロコンは開始前からすばらしかったです。

座席に置いてあった12歳の有安さんからのお手紙。まずそこで泣くオタク。

やばっ 私の涙腺 弱すぎ…!?と思ったが、隣の席の見知らぬお姉さんも泣いていた。

内容に関してはマジで最高以外の言葉が私の脳みそからは出てこないので、各自円盤で確認してほしい。

でもこれだけは言わせて。黒い週末の出だしで咳してたのは本気で心配でした。

 

その後は地元のロケハンに行ったりChanを見たりフォーク村を見たり…

 

お前もっと頑張れなかったのか?

 

はい…すみません…

 

2017年もおおむねそのような感じで、唯一行ったのが有安さんのソロツアーの最終公演だった。

ハスキーな声の魅力が最大限に楽しめる「遠吠え」、キャッチーな曲と歌詞で(私の)心を鷲づかみにした「TRAVEL FANTASISTA」

どの曲も最高。以上です。

 

この頃の私は映画館に通って同じ映画を何十回も見るという少し頭のおかしい行動に走っていた。その映画のライブにも行きたくて、ちょうど10月の中旬頃の遠征を考えていた。

10月20日の武道館でのソロコン。行こうと思えば行けなくもなかったが、翌日幕張でのライブ参戦を控えていたため見送った。

いや……アホすぎでしょ……。

 

「きっと次回もあるだろう」と思っていた「次回」がもはや永遠に訪れないし、お前はいずれ死ぬ。

 

そうこうしているうちにあっという間に年が明け、訪れた1月15日。

仕事の昼休憩に入ったタイミングでtwitterを開くと、ざわついているオタクたちのツイートが流れてきた。

引退?まさかそんな…、と思いつつブログを開くと、確かにそこには彼女の言葉で引退する旨が綴られていた。その後は全く使い物にならず、ニュースを見て心配した上司がミヤネ屋に間に合うようにと早退させてくれた。

とにかく、涙が止まらなかった。日付が変わるくらいの時間までは、泣き続けていた。その後も何かにつけては涙が出て、翌日には両目が真っ赤に腫れていた。

 

ネットニュースで21日に幕張で卒業公演が開催されると知り、すぐに新幹線とホテルを予約した。偶然にも10月に宿泊したホテルをまた利用することになった。あの頃はまさかこんなことになるとは考えてもいなかった。けれど、チケットはなくとも会場推し、と思っていたから、迷いは無かった。

結局現地のチケットは取れなかったものの、イベントホールで開催されたライブビューイングのチケットを手にすることができた。ところで現地のチケットって明らかに関東民にしか当たって無かった感じでは…?

正直今後のことは何も考えられなかったし、考えたくなかった。

都内に向かう夜行バスの中でも、ももクロの曲は聞けなかった。あと何時間後には、私の大好きなあの子はこの中からいなくなってしまう。そう思うと、涙があふれて来た。

 

会場に着いて入場列に並ぶと、それぞれの色のTシャツやグッズを見につけたファンがたくさんいて、きっともう私がこの景色を見ることはないのだろうなあ、と思うと無性に寂しくなった。有安さんのいないももクロを応援できるのか、あの日からずっと考えているが、未だに答えは見つからないままだ。

 

ライブが始まっても、心は晴れなかった。この曲を歌うのはこれで最後、自己紹介もこれで最後、あと何曲聞けるのだろう、あと何曲あの子のダンスを見られるのだろう。

そんな思いでいっぱいで、"ライブを楽しむ"ことなんてできなかったのが少し彼女たちに申し訳なかった。

有安さんの最後のあいさつ

私も10周年はここにいて迎えられると思ってました。でもこれは4人の、これからのためにこうするしかなかったから。ももクロはね、よく『奇跡の5人』と言われてるけど、私はあんまりそんなこと思ったことなくて。この4人と、モノノフさんで5人だと思ってます。

全く納得できなかった。どういうこと?

4人のためにこうするしかなかった、という言葉の意味は、彼女が卒業してから解禁された数々の新しい仕事を知ってようやく腑に落ちた。

でも、

『奇跡の5人』と言われてるけど、私はあんまりそんなこと思ったことなくて。この4人と、モノノフさんで5人だと思ってます。

どういうこと?

ファンからすれば、有安さんがいてはじめて『奇跡の5人』足り得るのに。どうしてそんなことを言うのだろう…。

悩んでも悩んでも答えが見つからなかった。そりゃそうだ。私は有安さんのファンだけど、彼女のすべてを理解しているわけではないから。

ライブの後は一人でヤケ酒をした。次の日朝が早かったけれど、そんなことはどうでもよかった。

晴れやかな顔で卒業していく有安さんと対照的に、未来への不安を隠せなかったリーダーの表情を覚えている。『普通の女の子になりたい』というけれど、あなた以外の4人のことは考えなかったの?

なんて、少し身勝手なことも考えたりした。

けど、芸暦22年の有安さんの言う『普通の女の子になりたい』は、途轍もなく重たく私の心に響いた。だって、普通の女の子だった事がないんだもの。そんな有安さんがそう言うなら、受け入れたいと思った。受け入れるしかなかった。推しの幸せを願わないドルオタはきっといないだろう。私は有安さんが幸せでいてくれるなら、なんでもよかった。幸せの形が『普通の女の子』か『歌もダンスも楽器もできる最強にかっこよくてかわいいアイドル』かの違いなんて、もうどうでもよかった。

 

有安さん、今はどんな生活をしていますか?

夜はきちんと眠れていますか?

あなたのファンはまだ未練タラタラで、twitterであなたの事ばかり話しているけれど、あまりエゴサに夢中にならないでくださいね。

 

 

………………と、ここまで書きましたが、有安さんtwitterinstagramを始めたんですね。おかえりなさい、と言っていいのでしょうか。

また元気な姿を見れて嬉しい半分、ちょっと早すぎじゃない?と思う私もいる。

あの日もう二度と会えないと決死の気持ちで見送ったのに、もう?もう会えちゃうの?

ちょっと複雑だ。面倒なオタクで本当にごめん。

何はともあれ元気でいてくれてよかった。

今後もどうか健やかに。

23歳の有安さん、おめでとう。あなたの幸せを心から祈っています。

 

宇宙一好きだった人に会えなくなった

宇宙で一番大好きで、宇宙で一番かわいいと思っていたアイドルが突然引退することを発表した。

 

ももいろクローバーZの緑色担当だった有安杏果さん。

 

引退発表から約2ヶ月、気持ちの整理をつける為に私が有安さんに出会ってからさようならをするまでの私の記憶を書き残したいと思います。私と有安さんの思い出をただ書き連ねているだけです。語彙力のないくせに自己顕示欲と承認欲求の強いオタクの備忘録です。

いつかこの事を笑って話せるようになるのかなあ。

 

 

私が彼女、ひいてはももクロに出会ったのは高校3年生の春。当時地域では有名な進学校に通っていた私であったが、進学するつもりなど毛頭なかった。勉強とか好きじゃなかったしね。

高校を卒業したら就職をして、自分で稼いだお金で当時大好きだったミュージカルをたくさん見に行くのだと決めていた。

そんなある日、偶然ネットの海で見つけた動画。それこそがももいろクローバーZのライブ映像だったのである。

歌はあまり上手ではなかった。

なのに口パクでも被せでもなく生歌。しかもダンスの振り付けも激しい。

メンバーの表情はひたすらに明るく、「楽しい!」という気持ちがこちらにも伝播するようだった。

 

そこからはもうももクロに夢中だった。

偶然にもその年の6月、全国を回るホールツアーで地元に来ることがわかった。幸運にもチケットはまだ発売されていない。これは行くしかない!と思い、同じぐらいの時期にももクロにハマった幼馴染みを誘い親を説得しライブに行った。

 

その頃から私は有安さん推しだった。

初めてのアイドルのライブ。初めて買うツアーTシャツ。初めて持つサイリウム

全て有安さんがいなければ経験することもなく死んでいたと思う。

 

有安さんを推し始めたきっかけは、これまたネットで見た動画。

バラエティ番組ではお馴染みの、箱の中身を触って当てるゲーム。

有安さんはかなりのビビりで、そんな彼女にこのゲームをやらせたら面白いに決まっている。

彼女が触ることになったのはうどん。

もう、箱の中に手を入れる前からビビっている。小動物じみた彼女の挙動にキュンとした。恋かもしれないと思った。

うどんが指先に触れただけなのに大騒ぎ。半泣き。かわいい。

さて中身はなんですか、と聞かれたときの彼女の回答は「……くじら?」

はいかわいいーーーーーー!!!!!くじらか!!!!!!そっか!!!!!!!

鯨なんて入るわけのない大きさの箱だけど、あなたが言うなら鯨だって入れてみせる。

かわいすぎるので世界遺産か何かに登録して欲しい。鳩にビビる姿も合わせて登録して欲しい。

 

そんな出会いだったが、ライブになると印象は一変した。

映像で見た通りの激しいダンス。でも常に笑顔。

有安さんのソロ曲では客席降りがあり、偶然にも一階通路席を確保できた私はその時間近で彼女の姿を見ることができた。

白いワンピースを着てバラード曲を歌う有安さん。

目の前を彼女が通ったとき、天使か?妖精か?と思った。

そしてとても小さかった。私とは10センチほど身長が違うのだ。

 

 

それからずっと、私は緑のTシャツを着て緑のパーカーを羽織り、緑のリュックを背負って中には緑のタオルと緑のペンライトを詰めてライブに通った。

気がついたら身の回りの小物や私服も緑色が多くなっていった。

 

ももクロに出会う前の私はいわゆる腐女子というやつで、某バスケ漫画の男子高校生二人のカップリングに夢中だった。

 アイドルを好きになるなんて、幼い頃にハマっていたモー娘。以来だった。

 

そんな私がももクロにのめり込んだのはひとえに、彼女たちの"全力"に心を動かされたからだと思う。

いつも笑顔、いつも全力、いつも元気。

その年の夏、初めての西武ドームでのコンサートのライブビューイングに参加した。

私の推しの有安さんは開始一曲目『ワニとシャンプー』の出だしで既に泣いていた。それを見た私も泣いた。

じぇったいじぇつみょうサマーナイト……

彼女が「絶対絶命」をぜったいぜつみょうと読むのすら可愛くて可愛くて仕方がなかった。オタクとはそういうものである。

グループとしては最大の会場となる西武ドームでのライブ。客席がファンで一杯になっている光景を見て泣いてしまったとか。そんな彼女を見て他のメンバーはいっそ安心したらしい。この子達が愛しい……愛しすぎる……。誰かが泣いてるとなんか泣けなくなっちゃうとき、ありますよね。

 

そのライブの後ファンクラブが発足し、同年秋には武道館での『男祭り』『女祭り』が開催された。またゆみ先生演出のライブ見たかったなあ。

 

彼女たちがグループ発足当初代々木公園で路上ライブをしていた事はご存知だろうか?私もその時代にももクロを知っていた訳ではないが、ファンなら誰しもが聞いたことがあるだろう。

代々木公園のすぐ傍にあるのがNHKホール。紅白歌合戦の会場である。

デビュー当時から憧れ続けた紅白歌合戦。出場が叶ったのは2012年の冬のことだった。

スポーツ誌で紅白内定だなんだと騒がれるたびに一喜一憂していた高校3年生の冬。

帰宅途中のバスの中で紅白出場のニュースを見た。嬉しくて仕方がなかった。まるで私の大きな夢が叶ったような、そんな気持ちだった。バスの中で突然泣き出した私を、友人が慰めてくれた。ごめん、別に悲しいわけではないんだ……とは言い出せなかった。

家に帰ってテレビをつけた。夕方のニュース番組に、紅白歌合戦の会見場に、彼女たちが誇らしげな顔で写っている!

私は涙腺の弱いオタクだから、このときも泣いた。悲しいわけではない。嬉しすぎて泣いた。これを書いている今も思い出しながら泣いている。

 

紅白歌合戦本番では、その年にリリースした「サラバ、愛しき悲しみたちよ」と代表曲「行くぜっ!怪盗少女」のメドレーを披露した。登場の時点で泣き出す私を怪訝な目で見る親戚。ももクロの出番が終わるまで泣きっぱなしだった。

 

年が明けると、有安さんは喉の治療のため声を出さずに活動することになった。彼女のハスキー気味な声が好きだったので残念ではあったけれど、元気で生きていてくれるならなんでもいい……とすら思っていた。生きてるだけでかわいい、という気持ちを初めて知った。

彼女が声を出せない間は他のメンバーが彼女の代わりに自己紹介をした。あーりんやすはいいぞ。

また、トークライブやテレビ出演の時には有安さんはスケッチブックを用意し、そこで感情豊かな言葉と、独創的なイラストで自分の意思を伝えてくれた。パンダとかかわいいけどちょっと怖くないですか?

 

4月にはアルバムがリリースされた。トゲトゲのドリアンみたいなマスクのジャケットのやつ。

今だから言うけどいや当時も言ってたけどね、曲はいいけどジャケットと衣装がアイドルのそれではないよね。そこを狙ったのかもしれないけど。

春には再び西武ドームでライブが開催された。バックバンドがついて演奏に合わせて歌う、生歌でやってきた彼女たちだからこそできたライブ。今でこそももクロの現場では珍しくもなんともないが、当時はすげー!!と思った。なんていうか、ももクロここまでできるんだ!!!かっこいい!!!!みたいな思い。

五次元の曲ならみんな何がすき?私は仮想ディストピア

 

それから夏の日産スタジアム、毎年恒例クリスマスライブは西武ドーム。もう一度言う。クリスマスのライブ、西武ドーム

アホか?????西武ドームはほぼ外だぞ??????

でも安心して欲しい。何年か後にはスキー場でライブするから。

 

忘れもしないももクリ2013。仕事のためやむを得ずライブビューイングに参加。

いや~いいライブだったなあ、と思いながら、でんぐり返しをする有安さんの姿を微笑ましく見ていた。あのシスター衣装、顔のまんまるさが目立ってハムスターみたいでハチャメチャにかわいい……いっぱいちゅき……ハァ……。

堺雅人さん主演のドラマが流行していた年だから、それに乗じて「でんぐり返しだ!」って言ってころんって回ったのよね。かわいさが止まることを知らない。愛してる。

 

そして突然の南国ピーナッツこと松崎しげるさん。国家より聞いた愛のメモリー

ももクロをあまり詳しくご存知でない方はなんで?と思うかもしれませんが、ももクロのライブでサプライズを発表するのは松崎しげるさんなんです。2012年春の横浜アリーナ2daysで全国ホールツアー、ファイナル西武ドーム公演を伝えた時から。

 

今これを書きながら思い出してまた泣きそうなんですが、そこで発表されたのが国立競技場2days公演。

紅白の次の大きな目標として掲げていた国立競技場でのライブ。その時点で建て替えの為の取り壊しが決まっていたので、あくまでも叶わない夢として見ていた会場。移動中には嵐さんのライブ映像を見て、こんなライブにしたいね、などと話していたももクロ。いつか国立競技場でライブすることを夢見て、立川のデパートの屋上でライブをしたときに『国立川』と名付けて手作りの花道やマネージャーの押すトロッコで会場を回ったももクロ(このエピソードは『国立川 ももクロ』とかでググってください)。

いやーーーーーーもう泣いた。化粧ほぼ落ちた。そんぐらい泣いた。

でもメンバーもみんな泣いてた。その頃にはあまり泣かなくなっていたしおりんも泣いてた。

開催の日程は3月15日と16日。

15日は有安さんのお誕生日。

それに気づいたあーりんが隣にいた有安さんを指差す。『杏果のお誕生日じゃん!』とでも言わんばかりに。

 

その時、現地(西武ドーム)にいたファンと松崎さんからのサプライズとして発表しようと、ステージ横のモニターに歌詞が表示されていた。

国立競技場の文字が見えた瞬間のファンの歓声。メンバーの歓声と泣き崩れる姿。一生忘れられない光景が5つあるが、そのうちのひとつ。

その時の私はまだファンクラブには入会していなかった。でもチケットをとれるような不思議な予感がしていた。

まあ実際に一般抽選で取れたんですけどね。

 

 

 

引くほど長くなってしまったので、一度切ります。